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ブログ

2022.12.10–15

内なる理路をたどり、外なる図景を再構成する――余英時『朱熹の歴史世界:宋代士大夫の政治文化の研究』読書ノート

2023.5.11–14

父殺しの後で――探すことをやめることと探し直すことのあいだ――張承志『北方の河』を読む

2023.5.31

時間

2024.1.30

鹿牧場

2024.2.1–3

日記の時間、反歴史的アレゴリーとポスト改革期中国のメランコリーの政治――ロウ・イエ『天安門、恋人たち』とその七万字の映画評をめぐって

2024.2.13–20

大沢郷

2024.3.21–22

代を重ねるほど駄目になる

2024.6.3–5

仏の腹から聞こえる音

2024.6.10–12

声、血肉の身体と中国帝制末期における感性的なものの再分配

2024.6.15–17

周処とは誰か、害とは何か、それは除かれたのか

2024.6.19

中原の草

2024.11.22

蘇北の北

2024.12.24–29

物質はどこから来て、活力はどこへ行くのか――『サブスタンス』と「物」の多重奏

2025.4.30–5.2

アンガジュマンとは何か――介入を媒介するのか、媒介に介入するのか――サルトル『文学とは何か』の一解釈

2026.5.22

学部卒業論文の謝辞

2026.8.11–12

良い夏を過ごしましたか?